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ノート:大江健三郎

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参考文献の極右論壇本

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谷沢永一『こんな日本に誰がした-戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状』クレスト社/KKベストセラーズ ISBN 4877120297

こういう偏向した政治意図から難癖をつけている類の文書は まともに大江文学を知りたいという人に資する文献ではないだろう。 よくある荒らし行為であろうことからオミットした。 --以上の署名の無いコメントは、2409:252:b60:5a00:5959:3c64:67:cac5ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2019年8月30日 (金) 22:53 (UTC) に投稿したものです。[返信]

  • コメントや議論にあたって、「極右論壇本」というあなたの個人的な政治主張は無意味ですのでおやめください。「偏向した政治意図から難癖をつけている」とのことですが、むしろあなたがそれをここでやっているようにしかみえません。記載に値するか否かについては、それが出版社等の査読を経たものであるかや著者のステータス次第であって、文芸評論家・研究家の論調があなたの政治的思想や理念にそぐわないからといって、批判的な文献を除去してよいことにはなりませんし、勝手に「まともに大江文学を知りたいという人に資する文献ではない」ときめつけないでください。また、Wikipedia:荒らしに該当しないものにたいして荒らしという言葉を安易にしようしないでください(Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないWikipedia:善意にとるWikipedia:個人攻撃はしない )。多くの記述を出典なしに加筆されているなかでこのような物言いをされているのは、中立的な観点に欠け、Wikipedia:記事の所有権に反する主張であるという疑念をもたれるだけです。場合によってはコメント依頼を提出するか、記事の保護を依頼しなければならなくなります。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 04:53 (UTC)[返信]
  • それと、Wikipediaにおける参考文献は記事を書く際に引用・参照した文献を指します。この記事内の「研究・評伝」をただ羅列したものがどれだけ必要かというのも正直ありますが、いずれにしても政治スタンス等を理由に一部だけ削ってよいことにはならないでしょう。--Aiwokusai会話) 2020年8月29日 (土) 04:57 (UTC) (追記)記事内に本多勝一の貧困なる精神X集が記載されていることに気付きました。私は正直もうしあげて質問状の件の私怨が見られるこの本の出来をあまりよろしくないものだと感じていますが、だからといって立場が真逆ともいえる谷沢永一同様にそれを右翼左翼といった観点を理由に排除しようとはおもいません。--Aiwokusai会話2020年8月29日 (土) 06:36 (UTC)[返信]

コメントがあるのに気づきませんでした。かなり遅れましたが返答いたします。

●誰も参加していないような場所に見えたので適当に書き捨てたようなところがあるため再度説明させてください。●まず、これは「大江健三郎の人生」を残していることからわかっていただけると思いますが、大江に批判的な論調であることをもって削除したのでは全くないです。●「極右論壇本」という言い方をしたもで「右翼」であるから排除したと誤解されそうですが真意はそうではありません。私は「極右論壇本」というカテゴリに収まる一群の質の低い出版があると考えており、これはその一つだと見ています。●「こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状 クレスト社 1995.6/ベストセラーズ・ワニ文庫 1999」の他にこの谷沢という人が大江について著しているのは「悪魔の思想「進歩的文化人」という名の国賊12人 (クレスト社 1996.2)「反日的日本人の思想」PHP文庫 1999/「自虐史観もうやめたい!」 ワック 2005」」のようですがこういう「悪魔」「国賊」「反日」というタイトルの本がワニ文庫、php、ワックだという学術、文芸とは完全に関係ない、率直に言えば低俗な出版社から出版されているものが真面目に取り上げるべき本だと思われますか?おっしゃられる「出版社等の査読を経たものであるかや著者のステータス次第」にかなうと思われますか。私は全く思いません。またこういう著作を書いていることをもってある時期以降の谷沢をまともな学者ないしは評論家であるとも全く思いません。●私が思う、だけだと「主観に過ぎない」という話になるので研究者の世界この二冊の取り扱われ方を述べますと「篠原茂『大江健三郎文学事典―全著作・年譜・文献完全ガイド』森田出版 1998年」この本は「参考文献一覧」として大江研究に資するよう大江についての研究を単著、論考を含む書籍、特集した雑誌、雑誌に掲載された書評や論考を網羅的に載せていますがこの本は載せていません。(ちなみにこの一覧はかなり柔らかめの「オーケンで遊ぶ青年の会編『大江健三郎がカバにもわかる本 コレ一冊!あといらないッ!』」洋泉社も載せています)。研究者の世界の査読やクオリティチェックに全く耐えられなかったということなのではないでしょうか●研究・評伝のブロックの真面目な目的の研究文献が並ぶ中にこの本を紛れ込ませるのは「百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集」とされないでしょうか。勿論私はウィキペディア内の「荒らし」をめぐる実際的な議論の数々を知らず相場観を持っていませんので完全に「荒らし」である、と断定まではしません。ただ一定の合理性を認められるであろう根拠を示して本書を削除、こちらのノートに移します。--2409:252:B60:5A00:A95A:4CB9:9E4F:A57B 2020年9月3日 (木) 09:26 (UTC)[返信]

  • Wikipediaを編集する側が「低俗な出版社」というレッテルを貼る時点で参加するにあたってふさわしくないとかんがえます。『おっしゃられる「出版社等の査読を経たものであるかや著者のステータス次第」にかなうと思われますか。私は全く思いません。』であるならば参加をお控えいただくことをおすすめいたします。あなたの感情の問題ではなく方針を守りましょうという単純なお話です。特定の誰が本に載せていないので不適切というのは根拠として薄弱です。もし特定出版社の出版物全体が使用に不適切であるというならあなたがそうすべきだというルールを別の場で提唱し作成すればよいだけの話であって、Wikiepdiaの方針にもガイドラインにもないことをここに持ち込まないでください。いずれにしても「極右論壇本」というあなたのそのコメントは不適切なものです(これが仮に極左であろうが反日であろうが、Wikipedia内で特定の人物に向けて使うのは不適切であるという事実は何ら変わりませんし演説は他のサイトでおこなうべきです。目的外利用はおやめください)。--Aiwokusai会話) 2020年9月3日 (木) 10:15 (UTC) それとこの、スタイルマニュアルの中でも記事の構成として確立している参考文献とも違う、ただ本を羅列していく中身の薄い節がどれだけ必要であるか正直疑問です。もしそこまで重要なことが記載されているのであれば本文中にそれをもちいることができるはずです。それに関連してですが、各種数字や職歴・学歴、受賞歴といった単純な事実とはことなり、本文中の人物についての評価や論評・作品解説などは、複数の人物による二次資料で同じ事が書かれていないかぎり「~~はこう評している」といった情報元をあきらかにする表記にすることをおすすめいたします。もしそれが特定の誰かや著名な人物によるものであれば誰が言っていたのかがわかりづらくなり、世間一般もしくは研究者の中での常識であると誤解を招く可能性があります。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 11:23 (UTC)修正、追記[返信]

ウィキペディアの指針、「出版社等の査読を経たものであるかや著者のステータス次第」の査読とは何を意味するのか?またステータスをどう判断するのか?それらの指針がルールとしてどこに書かれているのか教えていただけると助かるのですが、宜しくお願いします。--以上の署名のないコメントは、2409:252:b60:5a00:a95a:4cb9:9e4f:a57b会話投稿記録)さんが 2020年9月3日 (木) 11:26 (UTC) に投稿したものです(Aiwokusai会話)による付記)。[返信]

Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せないWP:SOURCESをお読みください。二次資料となんとするかについては、最低でも「査読を経た出版物」であることが明記されています。逆にあなたのいう「誰かが研究本に役立つ文献として取り上げていないからアウト」「版元が自分が思う低俗な出版社だからアウト」と書かれていますでしょうか?まずWikipedia:検証可能性にもありますよう、Wikipediaで重要なのは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。ファンや逆にアンチが、こんなもの信用できるかと主張したところで、それが明確なゴシップ誌や写真週刊誌等ではなく通常の文献であれば上記のような理由だけでは即座に弾くことはできません。いずれにしても、すでにもうしあげたとおり出典に使用する文献としての議論であるならまだしも、私はこの本をただ羅列した一覧について必要かどうかその事自体を疑問におもっておりますし、元々あなたが「極右論壇本~」というキャッチフレーズを使用されたことに、ノートの目的外利用・不適切な発言であると指摘したにすぎないのですが。こういった議論をおこなう気があるのでしたら、可変IPではなくせめてアカウントを取得してくれませんか(Wikipedia:説明責任)。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 11:42 (UTC)[返信]

●「査読」が信頼性に関わるとして 「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」 「「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」 こう書かれていますが、谷沢の本がこういう基準をクリアしていますでしょうか? ●研究文献の一覧は私が作り始めたのではなく、私がここに来たときには存在していました。私はそれに情報を付加していっただけです。他の作家にも本文の記載と紐づけられる出典と別にこういう一覧が存在する場合があるようです。個人的にもウィキペディアからスタートしてそれ以上の知識を得たいという人がいた場合こういう情報は有用であるように思います。--2409:252:B60:5A00:A95A:4CB9:9E4F:A57B 2020年9月3日 (木) 11:59 (UTC)[返信]

ただ関連した書籍を一覧としている節があるのに、そこにいちいちIPv6さんのような人がこれは駄目だこれはOKだと主張すること自体がナンセンスであると申しあげているのですが。それを言い出したらどの本であれば基準をクリアしていることになるのでしょうか。KKベストセラーズという出版社であること自体アウトだと主張しているのはIPv6さんの方ですよ?この議論自体が私にはあまり意味のあるものとはおもえません。「私はそれに情報を付加していっただけです。」とのことですが、この本は駄目だといってわざわざノートに節を立ち上げられた方としては少々無責任な物言いではありませんか?であるならば節そのものを除去してもかまいませんか?(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)なお、他の記事にもある云々はWP:SPEEDなので取り合わないことといたします。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

●ウィキペディアが信頼性を問題にしていて、その基準を明文化しているのだから、それと事実を当てはめて判断していけばいいだけじゃないでしょうか。むしろ「それを言い出したらどの本であれば基準をクリアしていることになるのでしょうか」などといいはじめたら明示された基準が空文化してしまいませんか?

  • 私は編集査読の入った出版物であることはすでにもうしあげておりますが。あなたのいう出版社が極右だ、この本に参考になる文献として記載されていない、これは方針に沿った理由なのですか?--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

●査読とは「査読」が信頼性に関わるとして 「ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」 「「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。」 これをいっているにではないのですか?どんな出版も出版されているから査読されているなどと主張しはじめたらウィキペディアの信頼性をめぐる査読の基準が空文化しませんか?

  • 無論これは一覧のみでなく出典として使用できる可能性があるということになりますが、いずれにしてもこの節が必要であるというきちんとした理由が述べられない限りは現在の処理状態のままですしいずれ除去となるしかないでしょう。ただでさえWikipedia:ウィキペディアは何ではないかというデータベース、単純な羅列化はできるだけ防ぐルールがあるのに、題材を扱った本が1人の主観で取捨選択される様はさすがに看過できません。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 12:32 (UTC)[返信]
    • 「空文化」がなんなのかはわかりませんが『出版社が極右だ、この本に参考になる文献として記載されていない』という方針に反する主張をおこなわれているIPv6さんがこのWikipedia内では間違っています。信頼性を心配される前に方針に従ってくださいませんか。われわれはあくまでここを借りている身にすぎないのですから、そのような心配なによりも決まり事は守りましょう。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 12:32 (UTC)[返信]

●この議論の流れの中でウィキペディアのルール、信頼性の基準をおしえていただき、それに基づいて議論してきましたが、議論のなかででてきた私の主張を無視しないでください。査読というのはベテランのあなたが私に教示されてそれで議論しようとしたルールです。ウィキペディアが信頼性を査読を基準に担保しようとしていて、それに谷沢の書物をあてはめて当てはまるか、はまらないかのジャッジだけだ思うのですが。私は明確に当てはまらないと判断します

    • 「どんな出版も出版されているから査読されているなどと主張しはじめたらウィキペディアの信頼性をめぐる査読の基準が空文化しませんか?」と言いながら、なぜかこの本だけはアウトで他の本はOKなまっとうな理由が述べられていない限り議論はすすみません。他の本こそ信頼に値する根拠は明示されていません(篠原茂の本で参考文献になってないと主張されているがそれを言い出したら篠原茂という方は何者でしょうか一体。私が知るかぎり著名な方ではないとおもいますがどう「信頼」できるのでしょうか)。が、それは問題にしないのはただのダブルスタンダードです。いずれにしても節そのものの妥当性が出されていないかぎりはあまり意味のない話ですが。以上です。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

●他を載せるかどうかも信頼性の査読の基準で適否判断していくだけではないでしょうか? ●篠原繁は「大江健三郎論」東宝出版社1973、また本辞典の増補前の84年版は榎本正樹『大江健三郎の八〇年代』彩流社 1995年で先行研究とされています。研究者共同体の間で認められた著作でしょう。 ●文献の項目を削除されていますが、それを削除するかは、ここであなたに教示いただいた通り、ノートの議論にはかるべきではないですか 追記 文献の項目をどうするかは谷沢著作を削除するかと別論点なのでちゃんとトピックを別にたててください

会話ページにコメントしました。方針とは別問題の出版物についてのあなたの主観はともかくとして、節そのものの必要性はWP:SPEED以外に特に語られていません。よくある参考文献節は、本文を書くのに参考に使用された別物で、それすら単なる羅列はガイドラインに沿ってはいません。堂々巡りでしょうか。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 13:08 (UTC)[返信]

ここでこれ以上篠原・谷沢について議論する意味があるとはおもえませんし、本に書かれていないので価値がない・低いかのような物言いは単なるあなたの独自研究です。以上。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 13:10 (UTC)[返信]

●関連書籍の項目は私が勝手に作ったものではありません。項目をたてて私以外の主張もひろく聞いてから処理するのが妥当ではないですか? 追記(項目をたてて→トピックをたてて)

●繰り返しですがウィキペディアの信頼性基準にそってやるべきだと主張されたのはあなたであり、その議論の積み重ねをなかったことにしないでください。基準と現実をあてはめて可否判定するのは独自研究とは特に関係ないのではないですか?

●かなり性急なやり方をされていますが、「一覧をひろく議論にはからないまま、即時削除しなければならない」ということがどこで明文化されているかしめしてください。宜しくお願いします。

書くたびにIPがコロコロ変わっているようではなんのために会話ページに案内したのかわかりませんし未だに指摘内容が改善されていません。これまでに積み重ねが存在したようにはみえませんが議論はご自由にどうぞ。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 14:01 (UTC)[返信]

●なぜipが今になって問題になるのがよくわかりません。あなたは私の編集履歴を遡って私が過去に中上健次の編集をしていたこと、谷沢著作を除去したことまで知っているではないですか。私の同一性はあなたはわかられていると思います。ここで昨日今日をあなたと議論して書き込んでいるのは全て私です。今後研究評伝の項目を掲載するかをめぐってあなたに話し合いを求めるのも私です。(同一性が問題とされるのは本人が同一性を認めている場合ではなく、一人の人間が複数の人間を装って同一性を否定している場合だと理解します)●「会話ページ」というのはどこのことですか?ただ、二人でここから離れた場所の会話ページでやるのではなく、①既に議論がここに書き込まれており第三者が議論を追いやすい②より多くの人に開かれている、こちらでやりましょう③ここより公開度合いの高い場所があるかもしれません。「コメント依頼」というのがそれですか?そういう場所があり、そこでやるのが適切であると判断されるならそちらに誘導してください(私は初心者ですので、仮に別の場所で何かの議論が始まるのなら丁寧に誘導いただけると助かります。私がそこに辿り着けず私が参加できないでおわってはまずいので)●「どういう情報を信頼性にたるものとして掲載するのか」は既に話にでているようにウィキペディアが明文化している、査読の基準があるのでそこはそれ以上の議論の余地はないでしょう。あとはその基準と現物の出版物を一個一個あてはめて合理的に説明できる形で掲載可否を決めるだけだと思います。従って話は終わっているのだと思います。●もちろんこれから一個一個の書物の適否をみていく具体的作業のなかでまた議論があるのかもしれません。それはまたそれで別にトピックを設けてそこでやりましょう。「信頼性にもとづく研究書の一覧の掲載基準」は私がこれが妥当だろうというのをウィキペディアの信頼性の指針に沿って提示します。

●あとは「研究の一覧」の掲載するかどうですが別項目を設けます。そちらで話しましょう。

●あと「未だに指摘内容が改善されていません。」とのことですが、私はあなたにここでご指導いただいて以降、あなたのご指導通りに丁寧にページ番号付した出典を明示、出典にそって記述を見直して、復活させており、誠実に対応しています。●過去に私が付けた出典についてページ番号がついていない問題は遡及して改善します。もちろんそれもやっていくつもりで進めていますが、改めて文献に当たり直すページ番号を探す工程が必要であり一ヶ月ほど時間をください。(出典にページ不記載などの不備はあるかもしれませんがソースは確実にありますのでいきなり削除みたいなことはなさらないでください)-2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月3日 (木) 20:38 (UTC)[返信]

あくまでアカウントは取得しない、節でやるべきかどうか怪しい話も流れてしまうのですが(例えば利用者‐会話:2409:252:B60:5A00:8157:98A4:B8DA:375C)かまわないということですね、わかりました。結局あなたは議論の余地はないとおっしゃりながらも、独自基準の極右や低俗な出版社云々の発言も撤回されていませんしこれ以上私がここで何につきあえばよいのかは知りませんが、私はページ番号不記載等での記述はもともとしていませんし誤解を招くような発言はどうかと思いますが。本文中に出典をいくつか付け加えていらっしゃることは素直に評価していますし(IPでは編集評価ボタンも押せませんがそれはあなたの選んだ道です)、それとこれとは別の話です。ただ上で申し上げたとおり今までどおりというほどつきあいきれないという部分が強まっているにすぎません(かといって自由にやってくださいというわけではありませんが)。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 23:15 (UTC)[返信]

利用者‐会話:2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829で既に他の方から貼られていましたね(Template:要約欄の目的外利用)。記事の編集とは全く異なる、要約欄の悪用のための編集は荒らし行為にほかなりませんので、今後は同様の行為にかんしては荒らしとして対処します。しかし頑なにアカウント取得を拒む可変なのでこの警告も意味がないのでしょうが。こういったことのために意図的に取得を拒んでいるとしたら余計悪質としか言いようがありませんが。大手かどうかなどは関係がありませんし(彩流社や審美社などどこが大手なのかと)主観にもとづき「いずれ削除」するというのであればそれ相応の対応でのぞむだけの話です。警告に気付かない(もしくは意図的に無視する)のはアカウントを取得しないご本人の責任でしかありませんし今後は会話ページでもコメントします。--Aiwokusai会話2020年9月4日 (金) 12:43 (UTC)[返信]

  • (追記)次々とあなたが新しい節を作成して独自見解をどれだけ述べようが何年かかっても合意が得られるレベルのものではありませんので記事でなくこのノートでやる分にははご自由にとしかもうしあげようがありませんが、今後これと同様の明確な目的外利用、荒らし行為が見られた場合は再度会話ページでも警告しますし、非ログイン者の編集制限保護や管理者に報告することで対応します。--Aiwokusai会話2020年9月4日 (金) 13:00 (UTC)[返信]


Aiwokusaiさま

いきなり荒らし行為とまで呼ばれて不愉快な思いをします。私が初心者でルールに不案内な面があるためときどき知らずにルール違反をしてしまうことは、あなたはすでにご存知じゃなかったでしたか?あなたにルールの理解不足を指摘されてその後私がそのルールを破って無法なふるまいをしたことがありましたか?誠実に対応しているはずです。コメントの不適切な使用は他の方から注意を受けてますが、それに私が逆らっていますか?その後、コメントをおかしな使い方を私がしてますか?してないですよね。私を荒らしと呼ぶのは攻撃的で行き過ぎではないですか?私がルールに不案内なのを逆手にとって利用していませんか?

●気づいたのですが、あなたにご指導いただいて適切な出典つけるなどして表現を見直した冒頭の概略文「読売文学賞など多数受賞。」と私が書いたところ、コメント抜きで「など多数」を削除されてますね。あなたは「曖昧な記載はしてはいけない」とご教示されたことがあり「など」をもって「曖昧な表現」として削除されたのかもしれないとも推測もしますが、それでもこれは本当にどうしても問答無用で即座にしなければならない編集部分だったのでしょうか?

記事全体に大江の受賞歴が書かれておらず、「など」とぼかしてあるなら「曖昧な表現」かもしれませんが、すぐ横のデータ欄や本文や著作欄に大江の受賞した賞はすべて表示されているるわけではないですか。概略部分は文字通り概略ですからを記述煩雑にしないために「など」と書くのは本当に即座に問答無用で修正されなければいけないことだったのでしょうか?「など」をとってしまうことで大江が他の賞を受賞してないように見えて不正確であるという考えだって成り立つのではないですか?

全面的にあなたがただしく説明抜きにやってよいと言い切れることなのでしょうか?わたしに編集するときはコメントを使うこととご教示されたのはあなたではないですか?以後、私は丁寧にコメント書いてきますが、私に教示されたあなたがそれに反することをやられるのはどうなのですか?

あなたにご指導を受け、記載を見直すこととし、一番適切ならどのソースがいいだろうと書籍にあらためて目をとおしたり、労力もかけて記載を見直したら、添削者にでもなられたおつもりなのか、即座にに、コメントもなく、どう記載表現するかは考え方次第のことまで、箸の上げ下ろしレベルで執拗に、記述変えられ、率直に申し上げればちょっと異常なレベルのやりようだと思いました。他のところで(「研究・評伝項目を除去するかどうか」など)あなたと意見の相違があった最中でもあったため意趣返し的な挑発的な感じさえうけます。そのような局面だからこそベテランを任じるあなたは抑制的に丁寧にふるまわれるべきではなかったでしょうか?また、その意見の相違の議論もあなたは誠実に議論されてませんね

記事の上部にownという表示をしたのはあなたですか?あなたはいままでにやりとりで私に「私物化」「記事の所有権を主張」しているかのように非難されていますが「記事の独占化」はむしろあなたがやられていませんか?私は一旦自分が記載したとおりに記載を戻しますが、編集合戦的にあなたが差し戻されるならされればいいと思ってます。もうそこには関知しません。

(「研究・評伝項目を除去するかどう」かの項目についてもあなたの独善的なやられ方についてコメント付してます。お目通しください)--2409:252:B60:5A00:3C2E:A2EC:BED:DE1E 2020年9月4日 (金) 21:03 (UTC)[返信]

研究・評伝項目を除去するかどうか

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Aiwokusaiさま ●あなたは「他の記事にも言うべき、は通用しない」いうことを言われており、それはもっともであると思います。よって「他のページにあるならこちらでもやっていいじゃないか」とそのレベルの駄々で議論する気はもちろんありません。【もし明確な規定があるならば】他のページにかかわらずそれに沿うのが道理だからです。●私が疑問に思い、教えていただきたいのは、「研究評伝項目」のような情報の集積がいろいろなページでされていて、どこでも問題視されていない以上、【そもそもウィキペディアはそれを禁じていないのではないのではないか?】というもっと根本的なことです。性急・喫緊に非表示にしなければならなかったのほどであるから、事例に明確に合致する明文規定があるのだと【あなたはそう理解している】と推察します。それを提示してください(これは私が「他の記事にも言うべき」という駄々を主張するということとは違う、「明文規定をきっちりと精査していこう」という別の議論です)。私はこのページは無期限半保護されています。 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか規定の記載「関連性の低い事項の一覧やまとめ 例えば引用、格言、人名(実在・架空を問わない)の一覧などが当てはまります(ただしこれに限りません)。引用の一覧を作るなら、姉妹プロジェクトであるウィキクォートで作成してください。一覧に列挙されている個々の項が、記事の主題に関連しているが故に著名であったり、記事の主題への寄与が大きいが故に著名である場合には、一覧記事を作ることに何ら問題がないのはもちろんです。●【また、ウィキペディアでは参照の便を図るため、参考文献表や表形式の情報を記事中に含めることもできます。】中心となる主題に関連した短い記事をまとめたグループは当然、問題ありません(詳しくはWikipedia:一覧記事をご覧ください)。」これを見ていますが、読む限り研究文献一覧は載せていいように理解します。ここでいう「参考文献表」は「出典を明記する」の「出典」とは用語として違う別概念なのは明らかだと思います。●お互い疑義があるなら議論を掘り下げましょう-2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月3日 (木) 20:44 (UTC)[返信]

追記 記事名「ウィキペディアは何でないか」をコピぺしたのですが、する際にあやまって文中なかほど「私はこのページは無期限半保護されています。」という文言が間違って混入しています。これは無視してください

  • 駄々ではないとおっしゃりながらも、いろいろなページで~というのは結局WP:SPEEDでしかありません。ただその記事では問題視されていなかった(?)からといってそれが方針やガイドラインに沿ったものであるとは判断できません。そもそもWikipediaにいくつ記事があると思ってらっしゃるのでしょうか。すべての記事に目を通されているわけでもないのに「どこでも問題視されていない」と言い切る根拠も謎です(当然そうおっしゃる方が証拠をだすべきでしょう)。私はWikipediaは何ではないかという方針は説明しましたし、今回のものとは少し毛色は違いますがWikipedia:箇条書きWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるというものもあります。いずれにしても、記事に関連している資料を一覧とするのは必ずしも禁止されていないかもしれませんが、その文献を使用して本文中で大江氏についての評論等を記載するのであればまだしも、現状ではただ関連する・大江氏を取り扱ったものであればほぼ無制限記載が可能なだけの節となっています(「違う」とおっしゃるかもしれませんが特別なルールもなく、現状IPv6氏が気に入るか気に入らないかで中身が多少変化する程度のものでしょう。除去でなくあくまでコメントアウトですが、そのような半ば私物化状態での記載は反対です)。それとも方針文書をコピペされているようあれらが単独「一覧記事」として特筆性を満たすと本気でおかんがえでしょうか。でしたら単独記事として作成されればよろしいでしょうが、削除依頼にかけられる可能性については言及しておきます。--Aiwokusai会話2020年9月3日 (木) 23:04 (UTC)[返信]

●毛色が違うと認識されるものを出して議論をいたずらに拡散させないでください。私は上述した「ウィキペディアでは参照の便を図るため、参考文献表や表形式の情報を記事中に含めることもできます。」を根拠に文献については表示します。 ●また谷沢著作は上の議論ですでにされたように「信頼性」が大いに疑われるため非表示とします。--2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月4日 (金) 00:43 (UTC)[返信]

??拡散とは何ですか?少し、と書きましたよね私。記事を書くのに出典として使用した参考文献表を私は一度も否定していませんが。むしろその点のみをあげつらって他の事はおざなりになっているでしょう。--Aiwokusai会話2020年9月4日 (金) 03:02 (UTC)[返信]


●Wikipedia:出典を明記する、のページには 「参考文献の節には、記事の内容を裏付ける実際に参考にした文献を挙げてください。項目に関連する読者の参考になりうる書物については、「関連書籍」などとセクション名を分けて区別してくださると、記事の内容を検証するうえで助かります。」とあります。ウィキペディアは記事の記述に紐づいた出典の注釈と別途に「関連書籍」の欄を設けることを否定していないようです。

●Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、に「ウィキペディアでは参照の便を図るため、参考文献表や表形式の情報を記事中に含めることもできます。」こう記載されていますがウィキペディアは出典はそもそも必須で記載としていることから、ここでの「含めること【も】できます」との参考文献というのは出典ではなく上記でいう「関連書籍」と理解できます。

●なので名前を「研究・評伝」としても「関連書籍」としてもいいですが、記事読者の便利のために、一覧を作ります。一覧はもちろん「網羅性」が必要でしょう。また一方においてウィキペディアの言う通り「信頼性」を確保することが必要でしょう。オーソドックスに一旦集めて、質をみてリジェクトするということでやっていけばいいのではないでしょうか。

リジェクトをどう考えるかは、谷沢については私は ①「ベストセラーズ・ワニ文庫 」はウィキペディアが「「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。」という通り、他の出版と並べて格段にレベルが低く信頼性に欠けると思います。「ベストセラーズ・ワニ文庫 」がどんな出版かは下記==谷沢の出版の信頼性==参照ください。②また上の==参考文献の極右論壇本== において篠原繁、榎本正樹の著作を挙げて研究者の共同体で何が参考文献とされているか、そしてその中で谷沢の著作がリジェクトされていることも指摘しています。なぜこういう扱いを受けるかはもちろん①の話と密接に絡むでしょう。★なお「==参考文献の極右論壇本==」というタイトルは過激ですが、真意は著作のレベルが低いということを言いたいのだと仕切り直して説明しています。この言葉尻を延々あげつらうのはやめてください。★

私は98年段階の網羅的な一覧をいま現在手元に持っています。(これはすでに述べた篠原作成のものなので谷沢の著作はすでにリジェクトされています)そこからスタートして恣意的にならないようルールを決めて「網羅性」「信頼性」のある一覧を作成しようと考えています。ルール、フローもきちんと開示します。私に一任させてください。--2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月4日 (金) 03:54 (UTC)[返信]

大部分云々の話は私が現にこうして異論を唱えている時点でとっくに崩れていますが。あなたが思うから信頼性が低い、では話になりません。 --Aiwokusai会話2020年9月4日 (金) 03:59 (UTC)[返信]

●「研究者がどう扱っているか」もきちんと説明しています。「私がそう思う」ではないです。論点をきちんとおさえて誠実に議論ください。むしろあなたが研究者の共同体での扱いという合理的な基準を覆して谷沢のクオリティの高さを立論しないといけないのではないでしょうか? ●確認ですが「研究・評伝」コーナーを作ることにはもう異議は無いのですよね--2409:252:B60:5A00:B000:9061:FFA6:8829 2020年9月4日 (金) 04:12 (UTC)[返信]

●ウィキペディアのルール上全く問題でないようですので「研究・評伝」は全部表示します。とりあえず議論中の、谷沢もいれます。すでに述べたように別途整理するかもしれません。

Aiwokusaiさま

●今回の「研究・評伝」というコーナーを設けることの適否についての議論やあなたの編集について、あなたの理不尽ななさりようについてコメントさせてください。

あなたは、ご自分がウィキペディアのルールの細部に通暁しているのであるかのような体で私に声をかけられ、私に「ルールに従って「研究・評伝」コーナーは設けるな」という要求をされました。そして大雑把にページを丸ごと貼りつけて「これを全部読めば自分の言っていることが正しいとわかる」と主張されました。「毛色は違うがこちらも読め」とページを次々に差し出しました。しかし私がルールを仔細に読んでいくと「研究・評伝」コーナーを設けても全く問題にはならないことが判明しました。

私は実際にルールを細かく検討したので結果として問題は生じませんでした、仮に私があなたの言葉をそのままそっくり受け取ったとしたら、あなたはウィキペディアのルールではなくあなたの独自ルールを私に押し付けたことになるところでした。

また、あなたは唐突かつ拙速にあなたの独自ルールを適用して「研究・評伝」コーナーを非表示にする振る舞いもされました。すでに申し上げていますが、「研究・評伝」コーナーは私が勝手に設けたわけでもなく、先人が設けていたものですし、私一人で情報を集積したわけでもありません。あなたのなさりようは私以外の他の人の労力も無駄にしかねない振る舞いでした。

あなたは私に対して「私物化状態」などの物言いをされ、私がこの記事の所有権を主張しているかのようにおっしゃられていましたが、私はむしろ、あなたからご指摘を受けたことで理に叶うと思えることは、ご教示通り誠実に対処しています。むしろ私には独自ルールを押し付けるあなたこそが所有権を主張しているように見えてなりません。

理に叶わぬことで自分が編集参加した項目を除かれたり、speedだとか非難されたりするのは不快でストレスフルですし、あなたが提示された独自ルールをめぐる話し合いで「それは違うのではないか」と返信の文章をしたためたりする労力もいったわけで、非常に理不尽に疲弊させられました。

あなたは、知識を持ち寄って記事を充実させる意図ではなく、ルールの裁定者であるかのように振る舞う行動をされているようですが、ご自身を省みられ、ルールの裁定者として振る舞うならルールを仔細に把握したうえでおこなう、人にルールを説くのであるなら「これこれのページを全部読め」などという乱暴な物言いではなくルールを自ら精査のうえ「明文規定がこうで、事実がこうで、両者をあてはめてこうだ」と具体的な話をするなど、もっと相手に対して誠実に振る舞われるべきだと思います。--2409:252:B60:5A00:3C2E:A2EC:BED:DE1E 2020年9月4日 (金) 21:13 (UTC)[返信]