マスウード・ペゼシュキヤーン
マスウード・ペゼシュキヤーン مسعود پزشکیان | |
任期 | 7月30日就任予定[1] – |
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元首 | アリー・ハーメネイー |
任期 | 2001年 – 2005年 |
内閣 | モハンマド・ハータミー |
出生 | 1954年9月29日 イラン、マハーバード |
マスウード・ペゼシュキヤーン[2](ペルシア語: مسعود پزشکیان、 ラテン文字:Masoud Pezeshkian、1954年9月29日 - )は、イランの心臓外科医、政治家である。2024年の大統領選当選者。
解説
[編集]タブリーズ・オスク=アーザルシャフル選挙区選出の国会議員で、2016年から2020年まで同議会の第一副議長も務めた。2001年から2005年までハータミー政権で保健・医療教育大臣を務めた[3]。1980年代にペゼシュキヤーンは西アーザルバーイジャーン州のピーラーンシャフル郡とナガデ郡の両郡の知事に選出された[4]。2013年イラン大統領選挙に出馬したが撤退[5]、2021年イラン大統領選挙では立候補を届け出たが、監督者評議会の審査に通らず不出馬となり[6]、2024年に行われた大統領選で決選投票の末、284万票余りの差をつけ当選した。
日本語表記では、マスウード・ペゼシュキアン[7]やマスード・ペゼシュキアンなどが見られる[8][9]。
幼少期と教育期
[編集]ペゼシュキヤーンは1954年9月29日にマハーバードで[10]、ガスレ・シーリーン 出身のイラン系アゼルバイジャン人の父とクルド人の母との間に生まれた[11]。1973年、彼は卒業証書を授与され、兵役のためザーボルに移った。この頃医学に興味を持ち始めた。兵役後は故郷の州に戻り、医学校に入学、内科学の学位を取得し卒業した。1980年から1988年のイラン・イラク戦争では頻繁に前線に出て医療チームを派遣、戦闘員および医師として働く責任を負っていた。1985年に一般医コースを修了し、医科大学で生理学を教え始めた。
ペルシア語の他、アゼルバイジャン語、クルド語、アラビア語、英語などを話せる[12][13]。
戦後は彼は教育を続けて、タブリーズ医科大学で一般外科を専攻した。1993年にイラン医科大学で心臓外科の専門分野を取得した。後に心臓外科の専門医となり、1994年にタブリーズ医科大学の学長に就任し、5年間その職を務めた[14]。
政治家経歴
[編集]ペゼシュキヤーンの政治活動は、1997年にハータミー政権に保健副大臣として入閣したことが始まりであった。4年後に保健大臣に任命、2001年から2005年まで務めた[15][リンク切れ]。2008年からはタブリーズ代表としてイラン国会に5回選出され[16]、2016年から2020年まで国会の第一副議長を務めた。[17]
ペゼシュキヤーンはクルアーンの教師であり、シーア派イスラム教徒にとって重要文書である「雄弁の道」の朗唱者でもある[18]。イラン・トルコ友好協会の会員でもある[19]。
大統領選挙
[編集]2024年5月19日、第8代大統領のエブラーヒーム・ライースィーが、ヘリコプター墜落事故で急逝。これに伴い、後任を決める大統領選挙が開催されることになった。ペゼシュキヤーンは改革派唯一の候補となり、元大統領のハータミーやハサン・ロウハーニーからも支持を受けた。西側との関係改善を通した経済制裁緩和、ヒジャブ着用に対する取り締まり合理化などを公約を掲げた[20]。
6月28日の第1回投票で1,041万5,991票を獲得し1位になると(得票率:42.45%)[21]、第2回投票の決選投票では1,638万4,403票票を獲得し、サイード・ジャリーリー(約1,353万票)を破り、当選した[22]。
思想
[編集]政治観
[編集]ペゼシュキアンは改革派と見なされがちだが、本人は何度も否定している[23]。ただし、改革については肯定的な見方をしている[24]。
ペゼシュキヤーンは何度も体制を批判している。2009年のイラン大統領選挙後の抗議活動中、ペゼシュキヤーンは演説で抗議活動参加者の扱いを批判した。演説の中では、シーア派の初代イマームの「人々を野生動物のように扱うな」という言葉を用いている[25]。
2018年のイラン抗議デモに対する政府の対応を「科学的にも知的にも間違っている」としている。すべての出来事についてイランの体制を非難し、「もっと上手くやるべきであった」と述べている[26]。2022年のマフサ・アミニ抗議運動について、ペゼシュキヤーンは事件に関する評価と解明チームの設立を要求、抗議者への対応と裁判が憲法に反するとして、被告が弁護士を雇うよう要求したが、後に声明を発表し、抗議を非難し、それが国民の利益になるとは考えなかった[27]。
イランの神権政治に忠実であり、保守強硬派や聖職者支配者たちと対立的ではない。大統領選挙におけるテレビ討論やインタビューでは、最高指導者・ハメネイ師の政策に異議を唱えないと約束している[28]。
イスラム革命防衛隊
[編集]ペゼシュキヤーンはイスラム革命防衛隊の支持者であり、現在の革命防衛隊は「過去とは違う」と発言している[29]。彼は2019年に米国がイスラム革命防衛隊をテロ組織と見なしたことを非難している[30]。2019年にイランが米国の無人飛行機(RQ-4)を撃墜後、ペゼシュキヤーンはアメリカ政府をテロリストとし、ドローンを標的にしたイスラム革命防衛隊の行動を「犯罪国家米国の指導者たちの口に強烈なパンチを食らわせた」と発言した[31]。大学の会合では、いくつかの批判に応えて革命防衛隊の制服を着用、再び着用すると発言した[32]。
民族観
[編集]ペゼシュキヤーンはアゼルバイジャン人、クルド人、バローチ人の権利を主張し保護されるべきであるとしている。すべての民族に対しイラン憲法第15条の実施を要求している。この条文は「イラン国民の公用語および共通言語およびその文字はペルシア語である。文書、通信文、公文書および教科書はこの言語および文字でなければならないが、郷里とその民族の言語を報道機関およびマスメディアで使用し、学校でその文学を教えることはペルシア語とともに自由である」としている。また、この条文の実施が分離主義者や反体制派に言い訳を与える障害になっていると指摘している[33]。学校でのアゼルバイジャン語の教育も支持している。
私生活
[編集]ペゼシュキヤーンの妻は婦人科医であったが[34]、1993年に自動車事故によって妻と子供一人を失った。残った二人の息子と娘を一人で育てた。再婚はしていない[35][36]。娘のザフラ・ペゼシュキヤーンはシャリーフ工科大学で化学修士号を取得し、ロウハーニー政権が発足する前はジャム石油化学で働いていた。
トラークトゥール・サーズィーFCのファンである[37]。
パブリックイメージ
[編集]情報筋によれば、彼の家族は傍観者とは程遠く、彼自身も経済事情では明確な実績を持っているという。しかし、政敵であるアリーレザー・ザーカーニーなどは、彼が汚職に関与した人々を擁護していると非難している[38][39]。
参考文献
[編集]- ^ “Iran’s New President to Be Sworn In on July 30”. Tasnim News Agency. (2024年7月10日) 2024年7月11日閲覧。
- ^ “ペゼシュキヤーン候補とジャリーリー候補;イラン国民は大統領にどちらを選ぶのか?”. Pars Today. (2024年6月30日) 2024年7月6日閲覧。
- ^ “در مورد مسعود پزشکیان در ویکیتابناک بیشتر بخوانید” [Who is Masoud Pezeshkian?] (ペルシア語). www.tabnak.ir. 2024年6月10日閲覧。
- ^ https://www.iranintl.com/en
- ^ “افراد ردصلاحیتشده فقط توانستند یک نامه بنویسند”. Iranian Labour News Agency. (2016年3月1日) 2016年3月2日閲覧。
- ^ “Qalibaf comes first, Pezeshkian second and Jalili third in presidential race: survey” (英語). Tehran Times. (2024年6月15日) 2024年7月1日閲覧。
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- ^ “イラン大統領選に勝利、ペゼシュキアン氏 どんなひと?”. 日本経済新聞. (2024年7月6日) 2024年7月6日閲覧。
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- ^ Editorial (2024年6月14日). “The Guardian view on Iran's presidential election: more choice, but little real hope of change” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2024年6月16日閲覧。
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- ^ Wintour, Patrick (2024年7月6日). “Masoud Pezeshkian: the former heart surgeon who became president of Iran” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077 2024年7月6日閲覧。
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- ^ “گروههای دوستی پارلمانی مجلس نهم”. Islamic Consultative Assembly Website. オリジナルの2014年7月24日時点におけるアーカイブ。 2014年8月14日閲覧。
- ^ “イラン大統領選挙、改革派候補が1位の異変…「経済難に民衆の怒り爆発した」”. 中央日報. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “イラン大統領選挙、決選投票へ(イラン) | ビジネス短信”. ジェトロ. 2024年7月6日閲覧。
- ^ “イラン大統領選 改革派ペゼシュキアン氏当選 欧米との対話重視 | NHK”. NHKニュース (2024年7月7日). 2024年7月6日閲覧。
- ^ “پزشکیان: صدبار گفتهام كه اصلاحطلب نيستم” (ペルシア語). fararu.com. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “پزشکیان: تمام اعتراضات و تشنجها از بیعدالتی شکل میگیرد؛ نمیتوان حق فردی را خورد و به او گفت سکوت کن / این مردم ۹۸ درصدشان به جمهوری اسلامی رای دادهاند؛ چرا امروز شرایط چنین شده؟ زیرا حقکشیها، خوردنها و بردنها را دیدهاند / با دختر مردم به خاطر اینکه پوشش او مطابق آنچه ما میگوییم نیست، برخورد میشود؛ ما مقصر بودیم یا آنها؟ بهجای اینکه خودمان را بزنیم، آنها را میزنیم” (ペルシア語). Entekhab.ir (2024年6月22日). 2024年7月7日閲覧。
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- ^ Dagres, Holly (2024年6月19日). “Masoud Pezeshkian is a possible game changer in the upcoming Iranian presidential election” (英語). Atlantic Council. 2024年7月6日閲覧。
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- ^ “پزشکیان: اکثر بازیهای تراکتور را با نوهام محمدحسین به استادیوم میرویم /با هم بحث میکنیم؛ نقدم میکند، اما هیچوقت دعوا نمیکنیم - خبرآنلاین”. www.khabaronline.ir. 2024年6月16日閲覧。
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- ^ جهان, Fararu | فرارو | اخبار روز ایران و (2024年6月16日). “حمله زاکانی به پزشکیان: از یک بیعدالتی محض دفاع میکرد” (ペルシア語). fa. 2024年6月16日閲覧。