ロヒンギャ
難民となったロヒンギャの人々(2012年) | |
総人口 | |
---|---|
1,800,000 | |
居住地域 | |
ミャンマー | 800,000[1] |
サウジアラビア | 400,000[2] |
バングラデシュ | 400,000[3][4][5] |
パキスタン | 200,000[6][7][8] |
タイ | 100,000[9] |
マレーシア | 40,000[10] |
インド | 14,000以上[11] |
言語 | |
ロヒンギャ語 | |
宗教 | |
イスラーム教 | |
関連する民族 | |
ベンガル人 |
ロヒンギャ(英: Rohingya people)とは、ミャンマーのラカイン州(旧アラカン州)に住む人々である。英語や現地ミャンマーではロヒンジャ、隣国タイ王国ではロヒンヤと発音される[12][13]。
概要
[編集]名称
[編集]ミャンマーではロヒンギャという集団の存在自体が否定されており、バングラデシュから流入した不法移民であるとの主張から、ベンガル人という意味のベンガリ(ビルマ語: ဘင်္ဂါလီ)と呼ばれている。
本項では、原則としてロヒンギャと表記し、ミャンマー側見解など、他の表記が必要な時は「バングラ人」「ベンガル人」「ベンガル系ムスリム」などカギカッコつきで表記する。
日本は、「バングラ系イスラム教徒のロヒンギャ」[14]と表記している。外務大臣記者会見などではロヒンギャの語は避け、「ラカイン州のムスリム」などの表現を使っている[15]。
また、国際赤十字では、「政治的・民族的背景および避難されている方々の多様性に配慮」という理由で「ロヒンギャ」という表現を使用しないとしている[16]。
語源
[編集]ロヒンギャという語は、はじめ「ラハム(Raham)」と呼ばれていたものが、後に「ローハン(Rhohang)」となり、そして最後に「ロヒンギャ(Rohingya)」(またはロヒンジャ)へと変化したとする説がある[誰?]。イギリスの軍医、フランシス・ブキャナン(1762年 - 1822年)は、アラカン(ラカイン)定住のムスリムについて、ルーインガ(Rooinga)と自称していると記録している[17]。
社会
[編集]居住
[編集]ロヒンギャの居住地域は、ミャンマー連邦共和国西部にあるヤカイン州(旧アラカン州、古い発音ではラカイン州と発音)のブティーダウン(Buthidaung)とマウンドーの両市と、バングラデシュ人民共和国東部にあるチッタゴン管区コックスバザール周辺のマユ国境一帯にある。バングラデシュへ難民化したり、ミャンマーへ再帰還したりしたため、現在では居住地域が両国に跨っている。
宗教
[編集]ロヒンギャではイスラム教が主流である。
生業
[編集]主に農業で生計を営むが、商人としての交易活動も盛んである。
しかし、ミャンマーでは「不法滞在者」と見なされているため、移動の自由は認められておらず、修学も、就職も厳しく制限されている[18]。そのため、農業や日雇い以外の仕事に就くことは困難である[19]。
人口
[編集]ミャンマーにおけるロヒンギャの人口規模は80万人と推計[20] されるが、政府当局の統計の信憑性が低いと考えられるため正確な数値は不明である。
2017年以降のミャンマー国軍・警察・自警団などによる攻撃で、国外に逃れたロヒンギャは60万人を超えており、過半数がミャンマーを追われた計算になる。2017年8月28日時点でアントニオ・グテーレス国連事務総長は、8月25日以降の難民は50万で、さらに25万人が潜在的な追放の危機にあるとした[21]。
民族
[編集]チッタゴンから移住したイスラーム教徒がロヒンギャであるとの学説があるが、英領インドから英領ビルマへ移住したムスリムには下記のように4種の移民が存在しており、実際には他のグループ[注釈 1]と複雑に混じり合っているため弁別は困難である。
- チッタゴンからの移住者で、特に英領植民地になって以後に流入した人々。
- ミャウー朝時代(1430-1784年)の従者の末裔。
- 「カマン(Kammaan)」と呼ばれた傭兵の末裔。
- 1784年のビルマ併合後、強制移住させられた人々。
現在も、ラカイン州では仏教徒であるアラカン人(ラカイン人)とイスラーム教徒であるロヒンギャの間で死者の出る衝突[22][23]が頻発しているが、次代を期待されるアウンサンスーチーはこの問題についての解答を留保しているため、ロヒンギャ側は不満を露わにしている[24]。そして、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟が政権を取っても状況は変わらず、国連調査団の入国不許可を表明した[25]。
アラカン人は「仏教の守護者」を自認している。ミャンマーの支配勢力であるビルマ人と対立する一方[26]、ムスリムであるロヒンギャへの敵意は非常に強く、アラカン人の民族政党・上座部仏教政党であるアラカン国民党(ANP)は、「ベンガル人」追放を公約している[27]。以前に認められていた国籍や参政権などの諸権利も、アラカン人には不法に与えられたものと認識されている[28]。こうした主張の背景には、ラカイン州の中で「ベンガル人」ムスリムのみが不当に国際社会から優遇されているという不満もある[29]。上座部仏教徒住民による、ロヒンギャ支援妨害や、支援車両への攻撃も起きている[30]。ミャンマーに進出した実業家の小島正憲によると、ロヒンギャの一部に、取材者に金品をせびる者がいること。また生活支援に関わるNGO関係者が、優雅に暮らしていることが「地元民から嫉妬の目を向けられている」という[31]。
言語
[編集]インド語派東部語群(マガダ語)ベンガル・アッサム語に属するロヒンギャ語を使用、チッタゴン語に近いが、類縁とされるベンガル語との相互理解は難しい。ロヒンギャはミャンマーの公用語であるビルマ語(シナ・チベット語族)を使用しないことも統合に支障を生じる原因となっている。
正書法が確立しておらず、アラビア文字、ウルドゥー文字、ラテン文字、ビルマ文字等による表記が入り乱れている。1980年代には、モーラナ・ハニフィが、アラビア文字をもとに書法を作成し、これが、ハニフィ(Hanifi)又はロヒンギャ文字と呼ばれているものである。
難民問題
[編集]歴史的経緯
[編集]先述のミャウー朝アラカン王国は15世紀前半から18世紀後半まで、現在のラカイン州にあたる地域で栄えていた。この時代、多数を占める仏教徒が少数のムスリムと共存していた。折しもムスリム商人全盛の時代であり、仏教徒の王もイスラーム教に対して融和的であった。王の臣下には従者や傭兵となったムスリムも含まれ、仏教徒とムスリムの間に宗教的対立は見られなかった。アラカン王国は1785年にコンバウン朝の攻撃により滅亡し、その後、旧アラカン王国の地は40年ほどコンバウン朝による統治がなされるが、それを嫌ったムスリムがベンガル側に逃げ、ラカイン人仏教徒も一部が避難した[32]。
だが、このような状況は19世紀に一変した。コンバウン朝は第一次英緬戦争に敗北し、1826年にラカインは割譲され英国の植民地となった。すでに英領インドとなっていたベンガル側より、コンバウン朝の支配から逃避していた人々が回帰したことに加え、新しく移住を開始する者も増え、大勢のムスリムが定住していった。このような急激な移民の流入が、北部ラカインの仏教徒とムスリムとの共存関係を崩した。1886年、コンバウン朝は第三次英緬戦争に敗北して滅亡、ビルマ全土が英領インドに編入された。これにより多数のインド系移民(印僑)が流入するに至る。印僑には商工業経営や金融業、植民地軍将兵や下級公務員としてビルマに赴き、ラングーンなどに長期滞在したり定住するものも一定数いたが、多くの場合はヒンドゥー教徒やムスリムを問わず、下層労働者としての移住者であり、3-4年ほどでインドに戻る短期移民であった。だが、ラカイン北西部に移民したムスリムは、同じ下層労働者であっても定住移民となって土着化し、仏教徒との軋轢を強めていった[32]。
このような流れのなか、20世紀初頭からインド系移民への排斥感情が強まり、1939年、英領ビルマでは、ビルマ人仏教徒女性を保護するという名目で、外国人との通婚にさまざまな制限を課す法律が植民地議会を通過して施行され、実質的にビルマ人仏教徒女性とインド系ムスリム男性の結婚を制限しようとした。ほぼ同時に、結婚によって仏教徒からムスリムに改宗した(させられた)ビルマ人女性が夫へ離婚申し出をおこなう権利を保持していることを認める法律も、施行された。また第二次世界大戦中、日本軍が英軍を放逐しビルマを占領すると、日本軍はラカイン人仏教徒の一部に対する武装化を行い、仏教徒の一部がラカイン奪還を目指す英軍との戦いに参加することになった。これに対して英軍もベンガルに避難したムスリムの一部を武装化するとラカインに侵入させ、日本軍との戦闘に利用しようとした。しかし、現実の戦闘はムスリムと仏教徒が血で血を洗う宗教戦争の状態となり、ラカインにおける両教徒の対立は取り返しのつかない地点にまで至る[32]。特に、ビルマの戦いにおける1942年の戦闘では、英軍側のムスリムによって2万人以上のラカイン人が殺されたといわれ、今日に至るまで、ミャンマー国内における反ロヒンギャの強い動機となっている[33][34]。
1948年1月、ビルマは共和制の連邦国家として英国からの独立を達成した。しかし、ビルマは独立直後から、民族対立・宗教対立・イデオロギー対立などにみまわれて、混乱は収束することなくそのまま内戦に突入した(ミャンマー内戦)。ラカイン州も例外ではなく、当時の東パキスタン(現バングラデシュ)と国境を接する北西部は、1950年代初頭まで中央政府の力が充分に及ばない地域として残された。東パキスタンで食糧不足に苦しんだベンガル人(ムスリム)がラカインに流入し、そのことが仏教徒との対立をさらに強めた。流入したムスリムのなかには、1960年代初頭に政府軍によって鎮圧された、ムジャヒディンを名乗るパキスタン人の率いた武装反乱勢力も存在した。この混乱期において、ラカイン北西部に住むムスリムの「総称」として「名乗り」を挙げたのがロヒンギャだった[32]。 現在、ロヒンギャの名前を付した文書として最も古く遡れるものは、1950年に彼らがウー・ヌ首相に宛てた公式の手紙である。これ以前にもロヒンギャ名が使われた可能性は否定されていないが、使用したとする確実な史料はみつかっていない。宗主国英国側の行政文書には、チッタゴン人(Chittagonians)という表記が圧倒的に多く、ロヒンギャないしはそれに近い発音(スペル)の名称はいっさい登場しない[32]。
ビルマ人の歴史学者によれば、アラカン王国を形成していた人々[注釈 2]が代々継承してきた農地が、英領時代に植民地政策のひとつである「ザミーンダール(またはザミーンダーリー)制度」によって奪われ、チッタゴンからのベンガル系イスラーム教徒の労働移民にあてがわれたという。この頃より、「アラカン仏教徒」対「移民イスラーム教徒」という対立構造が、この国境地帯で熟成していったと説明している。
日本軍の侵軍によって英領行政が破綻すると、失地回復したアラカン人はビルマ軍に協力し、ロヒンギャの迫害と追放を開始[注釈 3]した。1982年の市民権法でロヒンギャは正式に非国民であるとし、国籍が剥奪された。そのため、ロヒンギャの多くは無国籍者である。市民権法はロヒンギャに限らず、1948年1月の独立時点で、ビルマ国内に居住していない、あるいは居住が確認されていないとした者の国籍を全て剥奪した法律だった[35]。
現在のミャンマーは、新規の帰化についても原則として政府の認めた135民族に限っているため[36][37][注釈 4]、ロヒンギャが改めてミャンマーへの帰化を申請しても、認められることは無い。ただし、みずからロヒンギャであることを否定し、「ベンガル人」であることを認めた者については、帰化が認められた例がある[38]。根本敬によると、ミャンマーではリベラル派など「ベンガル人」への国籍付与を容認する論者であっても、「不法移民のベンガル人」が、ロヒンギャを名乗らず、ミャンマー土着民族を「騙る」ことを止めるならば考慮してもよいという見解である[38]。このように、ロヒンギャの存在自体の否定が、ミャンマー国内では主流となっている。
一方で参政権は、公的には無国籍であっても行使できた時期もあったが、2015年の総選挙では名実ともに剥奪された[39]。
なお、ロヒンギャのように国籍を剥奪された住民には、仮の身分証明書として「臨時証明書」が発行された。2015年6月1日より、これに代わって「帰化権審査カード」が交付されている。1982年の市民権法に基づいて再審査を行うという意味だが[40][41]、前述の理由でロヒンギャのミャンマー国籍は認められない。
1988年、ロヒンギャがアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したため、軍事政権はアラカン州(現ラカイン州)のマユ国境地帯に軍隊を派遣し、財産は差し押さえられ、インフラ建設の強制労働に従事させるなど、ロヒンギャに対して強烈な弾圧を行った。ネウィン政権下では「ナーガミン作戦」が決行され、約30万人のロヒンギャが難民としてバングラデシュ領に亡命したが、国際的な救援活動が届かず1万人ものロヒンギャが死亡したとされる。結果、1991年 - 1992年と1996年 - 1997年の二度、大規模な数のロヒンギャが再び国境を超えてバングラデシュへ流出して難民化したが、同国政府はこれを歓迎せず、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の仲介事業によってミャンマーに再帰還させられている。
2017年現在、ロヒンギャの国外流出と難民化の問題は解決していない。
2012年以降の現状
[編集]UNHCRは、2012年からの5年間で、ミャンマーから逃れたロヒンギャは16万8千人以上と推計している[42]。
2012年6月、ロヒンギャ・ムスリムとアラカン・仏教徒の大規模な衝突が起き、200人以上が殺害された。そのほとんどがロヒンギャであった。さらに13万~14万人のロヒンギャが住処を逐われ[43]、政府は避難民キャンプに幽閉した[44][45][注釈 5]。ミャンマー側は、「ベンガル・ムスリム」による仏教徒への強姦や改宗強要が諸悪の根源と主張している[46]。
一般に、ミャンマーの多数派である仏教徒から迫害を受けているため、世界各地へ亡命していると説明され、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)は関係諸国に保護を求めている。実際に、仏教過激派組織・969運動を中心に、「ベンガル人」の国外追放が主張され、ロヒンギャ排斥の暴動もしばしば起こっている。ミャンマーの軍総司令官は、ロヒンギャはミャンマーの民族ではなくバングラデシュからの不法移民であると表明[47]する一方、バングラデシュでも難民や不法移民と扱われている[48]。また、タイやマレーシアなどの周辺諸国はロヒンギャを経済移民視しており、難民認定しないことで一致している。このため、母国での迫害を逃れて、国外へと脱出するロヒンギャの人々は周辺国でも不法入国者として罰せられることが多い。
バングラデシュ南東部にも暮らす約20万人のロヒンギャのうち10~20%[注釈 6]は、劣悪な仮定住キャンプ(政府が公認するのはナラパヤとクトゥパロンの2箇所)の環境下にあると報告されている(Human Rights Watch, 2009)。
タイでも、海路で避難したロヒンギャは違法な「移住労働者」、またはパタニ連合解放組織などの南部(深南部)のテロに繋がる危険な「ムスリム」として、強制送還が行われている。タイでは、ロヒンギャの人身売買収容所が存在[49]し、ロヒンギャの人身売買が行われている。
さらには、タイの入管当局者と人身売買業者が共謀している事例もある。そもそもタイは難民の地位に関する条約に加盟していないことから、難民を認定し庇護する法律が国内に存在していない。このためロヒンギャは、難民ではなく不法入国者として扱われている[50]。
マレーシアでは、UNHCRによると、2012年から2015年にかけて、推定11万2500人が、命を危険にさらして密輸船で入国した[42]。
長年ロヒンギャは、ミャンマーとその周辺国から見捨てられた状態であったが、2013年5月20日、テイン・セイン大統領は、バラク・オバマ大統領との会談において、直接ロヒンギャへの言及はなかったものの、「ミャンマー国内のイスラーム教」という表現を用い、民族間対立を解消すると表明した[51][52]。一方、ラカイン州政府はロヒンギャ・ムスリムを対象に、2人までの産児制限の法制化を打ち出したが、国際社会の反発を受け、施行されたかどうかは不透明である[53]。
2015年には、ミャンマーから海路で流出するロヒンギャが激増したため、アメリカ国務省は周辺諸国に受け入れを呼びかけている[54]。しかし、バングラデシュ、マレーシア、インドネシア、タイなどの周辺国は、前述のとおり経済移民であるという立場を崩さず、受入を拒んでいる[55]。
1月16日、969運動指導者のアシン・ウィラトゥら数百人の僧が国連人権高等弁務官事務所・国連特別報告者である李亮喜のミャンマー訪問を非難するデモを行った。国連に、ロヒンギャへの市民権付与を勧告されたことへの反発が理由である。デモでは国連を「イスラムと共に立つ」と揶揄し、「Kick Rohin-liars out("嘘吐きロヒン"を追い出せ)」「ベンガリ(バングラデシュ不法移民)が偽名を使用するな」とロヒンギャを中傷した[56]。
1月21日、ウィラトゥは集会で李亮喜を「肩書があるからといって尊敬されるとは思うな。我々にとってはただの売春婦」と非難した[57]。国際連合人権高等弁務官事務所(UNHCR)のザイド・フセイン高等弁務官は声明で、「性差別主義で侮辱的な言動。到底受け入れられない」と抗議した。しかしウィラトゥは、フランス通信社の取材に「もし、私がもっと厳しい単語を見つけられれば、それを使っていただろう。それは、彼女が我が国にしたこと(ロヒンギャへの市民権付与要求)とは比べものにならない」と主張した[58]。
5月14日にはミャンマー国会で産児制限法が成立し、事実上ロヒンギャ・ムスリムを標的とした法制化が行われた[59]。
5月27日、ミャンマーの仏教徒らは、国際社会の批判に反発し、ロヒンギャの国外追放を主張するデモを行った[60][61]。
5月29日、タイ・バンコクでロヒンギャ対策会議が行われた。ミャンマーや密航船が漂着するインドネシア、マレーシア、タイなど関係17ヶ国に加え、日本、アメリカ合衆国、UNHCR、国際移住機関(IOM)などがオブザーバー参加した。UNHCRのターク高等弁務官補は「ミャンマーが責任を負うべき問題であり、究極的には(ロヒンギャらに)市民権を与えることだ」とミャンマーを批判したが、ミャンマー側はロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とみなす従来の立場を強調した[62]。
11月8日、民政移管後初となるミャンマー総選挙が行われた。前回2010年の総選挙で、ロヒンギャが暫定的に認められていた参政権は剥奪されていた。全国的には国民民主連盟が大勝したが、ラカイン州では反「ベンガル人」を掲げるアラカン国民党が国民院(上院)では12議席中10議席(+4)、代議院(下院)では17議席中12議席(+4)と大勝した。一方、ロヒンギャの議員3人は立候補そのものができなかった。
こうした国際的な孤立から、ロヒンギャにはイスラーム過激派組織による勧誘に応じる者が少なくないとみられている。インドのシンクタンク、防衛研究分析研究所(ISDA)のスムルティ・パタナイク上席研究員は、過激派集団とされる「ロヒンギャ連帯機構」(RSO)は、バングラデシュの過激派、ハルカット・ウル・ジハディ・イスラミア(HuJI)や他の過激派組織と連携しているという見解を示した。ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)、パキスタンのラシュカレトイバ(LeT)[63]などに勧誘されているという。 またISIL(イスラーム国)の勧誘を受け、家族ぐるみでISILに参加するロヒンギャも増えて来ているという[64]。
2016年10月からの掃討事件
[編集]2016年10月9日、ラカイン州で武装集団の襲撃があり、警察官9人が殺害された。当局は実行犯8人を殺害し、2人を逮捕した。当局は記者会見で、犯人はロヒンギャを名乗っていたと述べ、ラカイン州政府幹部は、ロヒンギャ連隊機構の犯行との見方を示した[65]。ミャンマー軍は過激派掃討作戦を口実としてロヒンギャを攻撃した。10月14日、大統領府は、犯行はパキスタンの過激派の支援を受けた「アカ・ムル・ムジャヒディン」によるものと判明したと声明を出した[66][67]。
複数のロヒンギャ女性によると、軍により住民数十名が銃で脅され、強姦された[68]。ラカイン州のAung Win MP州議は、「ベンガル人」は兵士がレイプするにはあまりにも「汚らわしい」と放言し、またロヒンギャの住居を焼き討ちした疑惑については、「ベンガル人」武装勢力が自ら火を放ったと主張した[69]。軍は国連や各種団体、海外報道陣をラカイン州から締め出している[70][71]。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、衛星写真を解析した結果、12月9日までに約1500棟が焼かれており、それはロヒンギャの武装勢力や住民では無く、「ビルマ」軍の侵攻ルートと一致するという[72][73]。
11月17日、ミャンマー政府によると、11月15日より、ラカイン州の治安維持のため、新しい訓練を開始したと発表した。4ヶ月の訓練後、州全体の治安維持に当たるという。国境警備隊のルウィンは、「ラカインの国民一人一人が、地元の武装警察の一員になれる機会がある」と述べた[74]。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のジョン・マキシックは、ミャンマーによって「民族浄化をしようとしている」と非難した。ミャンマー大統領府のザウ・ハティ報道官は、マキシックは「単なる疑惑で物を言っている」として、「国連当局者としての立場や倫理を維持すべきだ」と反論した[75][76]。
2017年前半の展開
[編集]2017年1月19日、イスラム諸国機構(OIC)はマレーシアで緊急外相会合を開き、ミャンマーに事態収束を求める共同声明と難民への寄付を表明した[77]。2月3日、UNHCRはバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民からの聞き取り調査で、昨年10月以来、ロヒンギャ数百人以上が死亡した公算が大きいとする報告書を発表した。報告書は、「人道に対する罪」の可能性が極めて高いとミャンマーを非難した[78]。難民となったロヒンギャは9万人に上ると推定された[79]。別の国連機関の幹部は、「恐らく過小評価」「氷山の一角」として、死者は1000人を超える可能性が高いと述べた[80]。
2月22日、ミャンマーは、武装勢力を支援した被疑で逮捕した2人の死を隠蔽していたことを認めた[81]。
3月24日、国際連合人権理事会は、ラカイン州などでの人権侵害疑惑の実態解明に向け、独立した国際調査団を同国に早急に派遣する内容の決議を採択した。ミャンマー国家顧問府のゾー・テイ局長はFacebookなどで、調査団受入の拒否を投稿した[82]。
4月6日、アウンサンスーチー国家顧問は、英国放送協会の取材に「民族浄化が行われているとは思わない。今起きていることを言い表すのに民族浄化は表現が強すぎる」「ミャンマー軍がしたいようにふるまえるわけではない」と主張した。また、「戻ってくるならば、彼らは危害を加えられない。決めるのは彼らだ」と、ロヒンギャを受け入れる旨を述べた[83]。
5月2日、アウンサンスーチーは欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表と会談し、国際調査団の受入拒否を表明した。外国メディアの取材制限についても、「私の村で(治安機関の)残虐行為はなかった」と取材に答えたロヒンギャが、武装勢力に当局の協力者とみなされ斬首された事件があったと述べ、理解を求めた[84]。6月13日、ミャンマー国連常駐・人道調整官のレナタ・ロック・デサリエンが辞職した。ミャンマー政府との関係を重視し、ロヒンギャ問題を避けて通ったことが問題視されたという[85]。
6月22日、ミャンマー政府は、「テロリスト訓練キャンプ」を発見し、武装した3人の男性を殺害したと発表した。それによると、「アカ・ムル・ムジャヒディン」は、今年3月に他の組織と合流して「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」を結成。「テロリスト」は村の長老ら34人を殺害し、22人を拉致したと発表した[86]。ミャンマー政府は、「アラカン・ロヒンギャ救世軍」はパキスタンやサウジアラビアの支援を受けていると主張している[79]。ARSA指導者のアタウラーは、ARSAの結成は2012年3月としている[87]。また、タイ王国の安全保障アナリストであるアンソニー・デイビスは、ARSAは「国際的なイスラム教聖戦主義やISIL、アルカイーダと、何も実質的に繋がっていない」との見解を述べた[88]。
6月30日、ミャンマー連邦議会で、同国の外務副大臣は「ベンガル人」問題について、「アウンサンスーチー氏は、我々は国連の調査団に協力しないと言っている。各国の大使館に調査団員には査証を出さないよう命じる」と答弁した[89]。
7月7日、OHCHRは李亮喜・国連特別報告者のミャンマー訪問を発表した。ミャンマーは、かねてより受入を拒否している独立(国際)調査団の活動を行わないことを条件に、入国を認めたと発表した[90]。
7月9日、ミャンマー政府によると、ロヒンギャ武装勢力とミャンマー治安部隊の戦闘があり、武装勢力側2人が死亡、2人を逮捕した。家屋の中から砲撃があり、応戦したという[91]。
7月21日、10日よりミャンマー入りしていた国連の李亮喜はヤンゴンで記者会見した。李は政府による調査の制限や圧力があったと述べ、「受け入れられない」と批判した[92]。
2017年8月からの「掃討作戦」
[編集]2017年内の動向
[編集]8月6日、ミャンマー政府は「(ロヒンギャへの)人道に対する罪や民族浄化にあたる事実は確認されなかった」と疑惑を否定する、政府調査委員会の最終報告書を発表した。ただし、ミャンマー政府は国連調査団や外国報道機関の現地訪問を拒否・制限している[93]。
8月24日、ミャンマー政府が設置した特別諮問委員会(委員長=コフィー・アナン元国際連合事務総長)は報告書を公表。「ミャンマーは世界最多の無国籍者を抱える」と問題の存在を認め、国籍法の改正によるロヒンギャへの国籍付与などを勧告した[18]。
8月25日、ミャンマー国境で武装組織が駐在所20箇所以上を襲撃し、アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)が犯行声明を出した。ミャンマー政府情報省発行の『ニューライト・オブ・ミャンマー』によると、「過激派テロリスト」77人と、治安部隊12人がこの戦闘で死亡した[94][95]。
8月29日現在で、双方で100人を超える死者が出た[96]。
8月30日、複数のロヒンギャ避難民によると、トゥラ・トリ村がミャンマー国軍の襲撃を受け、住民が虐殺された(トゥラ・トリ大虐殺)[97][98][99]。ある避難民は約500人が殺害されたと証言したが、実数ははっきりしていない[100]。
8月31日、『ニューライト・オブ・ミャンマー』は、政府筋の話として、ARSAメンバー150人が治安部隊を襲撃し、1人殺害され、4人を逮捕したと報じた。同記事によると、ARSAはヒンドゥー教徒を拘束し、治安部隊によって500人以上のヒンドゥー教徒が避難した。これとは別に、警察によって300人が、また別の村のヒンドゥー教徒200人が避難したという[101]。
9月1日までに、ミャンマー軍は8月25日からの戦闘で、「ベンガル人」を399人殺害したと発表した。このうち、370人は「アラカン・ロヒンギャ救世軍」など武装勢力としている。一方、政府側は警官11人と国軍兵士2人、政府職員2人の計15人が死亡。このほか、民間人14人が犠牲になったという[102]。また、ミャンマー政府は「ベンガル人」住居2700軒以上が、武装勢力によって放火されたと発表した。しかし、AP通信などは、(ミャンマー)治安部隊による放火というロヒンギャの証言を報じた。また、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、衛星画像の分析で、ロヒンギャの村の一つで、ほぼ全域の700軒が燃やされ、仏教徒の村では被害を確認できなかったと発表した[103]。同日、ミャンマー国軍のミンアウンフライン最高司令官は式典で、「ラカイン州で1942年の危機を再び起こさせはしない」と主張した。これは、太平洋戦争におけるビルマの戦いで、「ベンガル人」がイギリスに味方したことを指す。その上で、軍の正当性を主張し、「ベンガル人のテロリスト」が「宗教を扇動や暴力的な攻撃の道具にし」たと非難した[33]。
9月4日、ミャンマー政府情報委員会は、ARSAが新たに660軒を放火したと発表した[104]。
9月13日、国連のグテーレス事務総長は、記者に「これは民族浄化だと考えるか」と問われ、「ロヒンギャ人口の1/3が国外に逃れている。これを形容するのにより適した表現がほかにあるだろうか」と答えた[105]。
9月14日、アムネスティ・インターナショナルは衛星写真から、8月25日以降、計画的にロヒンギャの居住地区や村を狙って放火が行われ、数万人が家を失ったとの分析結果を出した。過去4年間、同地で同様の火災は見られなかった。国境沿いで数十人から行った聞き取り調査によると、ミャンマー国軍、警察、自警団がロヒンギャの住居を襲撃し、放火や略奪、殺人を行った。ある村ではガソリンを撒き、ロケット砲で焼き払った。また、一部地域では、役人が事前に焼き討ちを通告していた。アムネスティ・インターナショナルのティラナ・ハッサンは、焼き討ちは「ベンガル人」の犯行とするミャンマーの主張を「露骨な嘘」と非難し、「私たちの調査によると、自警隊と一緒にロヒンギャの家を焼いた責任は、自国(ミャンマー)の治安部隊が負っていることがはっきりしている」と主張した[106][107]。同日、ミンアウンフラインはFacebookで、「過激派のベンガル人」は「ミャンマーでは決して民族集団では無かった、(にもかかわらず)ロヒンギャとしての認知を求めている。ベンガル人問題は国家的な問題であり、私たちは真実を確立するために団結する必要がある」と改めて主張し、「ミャンマーの全ての市民[注釈 7]は、愛国心で連帯し、メディアは団結すべきである」と述べた[108][109]。
9月19日、中国の王毅外相は国連のグテーレス事務総長に対し、ミャンマー政府による安全保障上の努力を「理解し、支持する」と表明した[110]。
9月20日夜、ラカイン州の州都シットウェーの港で、ロヒンギャ避難民への支援物資を船に載せようとしていた国際赤十字のスタッフらが、約300人の仏教徒に火炎瓶や石を投げつけられ、間に入った警察官数人が負傷した。ミャンマー政府によると、積荷は港に留め置かれたままという[111]。
9月21日、ミャンマー国家顧問省の報道官は、朝日新聞の取材に「(アウンサンスーチーは)調査団を受け入れるとは言っていない。現地の平和と安定に調査団は逆効果だ」と述べた[111]。
9月24日、在韓ミャンマー人約700人が、ソウルのUNHCR韓国事務所前で反ロヒンギャ集会を開いた[112]。
9月27日、AP通信は、ロヒンギャが追われた村で、治安部隊や役人らがロヒンギャの家畜を盗み出し、相場の1/4で(非ロヒンギャの)住民や商人に売り払ったと報じた[113]。同記事によると、ミャンマーに残っているロヒンギャは50万人を割っている。
9月28日、国連安全保障理事会は、ロヒンギャ迫害について公開会合を開いた。グテーレス国連事務総長は、8月25日の武力衝突以来の難民が、少なくとも50万人に達したと述べ、さらに25万人が潜在的に家を追われる可能性があると指摘した。その上で、ミャンマー政府に「暴力の即時停止と人道支援の許可、難民の安全な帰還という3つの迅速な対応を求める」とした。米国のヘイリー国連大使は「ミャンマー当局は残忍で、少数民族を粛清するキャンペーンを続けている」と強く非難した。一方、ミャンマーのタウン・トゥン国家安全保障顧問は、問題は「宗教ではなくテロによるもの」「民族浄化やジェノサイドは起きていない」と反論した[21]。
10月11日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は「ロヒンギャを国外に追放するだけでなく、帰還を阻むため、ミャンマー国軍が意図的に家屋や田畑を破壊・放火した」とする調査報告書を公表した[114]。また従来、ミャンマー国軍側は、8月25日の武装組織による攻撃への反撃と主張していたが、「掃討作戦」は8月の初めから始まっていた可能性を指摘した[115]。
10月16日、ミンアウンフライン最高司令官はフェルトマン国連事務次長(政治局長)との会談で、改めて「「ベンガル人」はミャンマーの民族ではない。1942年に(「ベンガル人」によって)2万人以上のラカイン人が殺されたこと[注釈 8]こそが真の歴史であり、隠すことはできない」と主張した。そして、ミャンマー軍は「ベンガル人」による不法占拠や「ベンガル人」テロリストに合法的に対処したまでとして、(「ベンガル人」では無い)地元民のために安全対策を取る必要があると主張した。さらに、国連の人道支援について、「ベンガル人」テロリストに支援物資が流れているという疑念があり、だからラカイン人は国連の支援に反対している。よって、支援を行うならミャンマーの政府機関との連携が必要だと主張した[34][116]。
10月23日、国連欧州本部で開催された支援国会合において、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の志野光子大使は、ロヒンギャ難民への日本政府による緊急支援を1600万ドルまで拡大することを表明した[117]。
11月13日、ミャンマー国軍は、「ベンガル人」への迫害は「していなかった」。殺害、放火、略奪、強姦などの迫害とされるものは全て「テロリストによるプロパガンダ」とする調査結果を発表した。報告書は、国軍が1ヶ月にわたって「ベンガル人」3217人、ヒンドゥー教徒2157人などに面会調査した結果という。また、「ベンガル人のテロリスト」は6200人~1万人にのぼり、「治安部隊よりも多い」。「ベンガル人のテロリスト」は治安部隊への攻撃を始め、自作自演で放火したり、ヒンドゥー教徒ら105人を拉致したとの見解を示した[118][119]。
11月16日、国際連合は総会第3委員会(人権)でミャンマー政府に対し、軍事力行使の停止や、国連などによる制限のない人道支援を認めるよう求めた決議案を賛成135、反対10、棄権26の賛成多数で採択した[120]。反対はミャンマー、中国、ロシア、ラオス、フィリピン、ベトナム、カンボジア、シリア、ベラルーシ、ジンバブエ。棄権は日本、インド、ネパール、スリランカ、ブータン、タイ、シンガポールなどであった[121]。同日、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「ビルマ」治安部隊による大規模なレイプが行われていると声明を出した。バングラデシュに逃れたロヒンギャ女性52人、支援者など19人への聞き取り調査によると、強姦の加害者はほぼ全員が軍人で、ラカイン人も共謀して性的嫌がらせなどを行った。また、兵士が幼い我が子を木に叩き付けて殺したり、子供や老親を燃えさかる家に投げ込み焼き殺したり、夫を銃殺したなどの証言が寄せられた[122]。
12月5日、国連人権理事会で、ミャンマーによるロヒンギャへの「組織的かつ大規模な人権侵害」を「強く非難」し、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議が賛成33、反対3、棄権9で採択された[123][124]。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった[125]。
12月7日、『ニューライト・オブ・ミャンマー』は、人権理事会の決議を非難するウ・ヒテン・リン常任代表者の声明を報じた[126][127]。声明の主な内容は以下の通り。
- この決議案は分裂、対立を引き起こす。
- 特定の信仰に属する、特定のグループに焦点を当てている。人権は人種、宗教、性別にかかわらず、世界中のすべての人々にとって必要。
- 一部にミャンマーの主権を侵害し、十分な根拠の無い内容がある。
- ARSAの攻撃を非難していない。
12月11日、AP通信はバングラデシュのロヒンギャ難民29人(全て女性)にインタビューした結果、ミャンマー治安部隊による強姦は「徹底的で組織的」に行われたと報じた。ミャンマー当局は取材に応じなかったが、これまで強姦や虐殺などの指摘を全て虚報と主張している[128]。
12月13日、ミャンマーは、ラカイン州で取材していたロイターの記者2人と、協力者の警察官2人を逮捕した。被疑はイギリス植民地時代に制定された国家機密法違反で、ミャンマー情報省は「(記者は)海外メディアと共有する目的で情報を不正入手した」と声明を出した[129][130]。
12月17日、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、衛星画像の分析の結果、「ビルマ」治安部隊によるロヒンギャ集落への放火が、12月になっても続いていると発表した[131]。それによると、10月以降に40の村が被災し、「ビルマ」とバングラデシュの合意が成立した11月23日以降に限っても、4の村が被災していた。その上で、「ビルマ」政府が国際社会に安全な難民帰還を約束していることに対して「宣伝工作にすぎない」と批判した[132]。
12月18日、ゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官はフランス通信の取材に対し、ロヒンギャへの弾圧は「ジェノサイド(大量虐殺)」の可能性があると述べた。武装勢力に対する適切な取り締まりを主張するミャンマー政府に対し、ゼイドは2016年の時点で30万人のロヒンギャがバングラデシュに逃れていたことを指摘し、「ミャンマー政府の主張とは合致しないのではないか」との見解を示した[133]。同日、フセイン国連人権高等弁務官はBBCの取材に対し、ミャンマー側の行動は「ものすごくよく練られて計画されたものなのではないか、と我々は感じ始めた」と述べた。またBBCは、ロヒンギャ難民らの証言として、ミャンマーが昨年ラカイン州で組織した武装警察が、ロヒンギャ集落襲撃の実行犯になったと報じた[134]。
12月19日、世界保健機関(WHO)は、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでジフテリアが流行しており、死者が21人に達したと発表した[135]。WHOは12月17日より、2度目の予防接種を開始している。
12月20日、国連によると、ミャンマーは李亮喜・国連特別報告者の入国拒否と非協力を通告した。李は声明で「ミャンマー政府の決定に失望している。大変なことが起きているに違いない」と非難した。ミャンマーは、李が7月の訪緬で「以前の(軍事)政権の手法が今も用いられている」などと批判したことが、「偏っており不公正だ」として、協力取りやめの理由に挙げた。
12月21日、アメリカ財務省は、大統領令に基づき、ミャンマー国軍のマウンマウンソー少将個人に対し、国内資産凍結などの制裁を発表した。証言によると、8月の「掃討作戦」でマウンマウンソーの率いた治安部隊が、ロヒンギャを無差別に殺害したほか、集落への放火を行ったという[136]。
12月24日、国連総会で、イスラム協力機構(OIC)の提出した、ミャンマー政府にロヒンギャ難民の全帰還や完全な市民権の付与、援助関係者の接触容認などを求める決議が賛成122、反対10、棄権24で採択された[137]。反対はミャンマー、中国、ロシア、ベラルーシ、カンボジア、ベトナム、ラオス、フィリピン、シリア、ジンバブエ。棄権は日本、インド、タイ、ネパール、ブータン、シンガポール、パプアニューギニア、カメルーン、南アフリカ、ドミニカ共和国、ベネズエラなどであった。
12月14日、国境なき医師団は8月25日から9月24日までの1ヶ月間に、少なくとも9000人のロヒンギャが死亡し、そのうちの71.7%、6700人が殺害されたとする調査結果を発表した。難民2434世帯・11426人への聞き取り調査からの推計で、死因の69%は銃撃、9%は焼死、5%は殴打によるという。5歳未満の子どもでは、59%超が銃撃、15%が自宅で焼死し、7%が殴打、2%は地雷が死因という。また、ミャンマーから脱出できなかった世帯は調査対象に含まれておらず、家ごと焼き殺され一家全滅した例もあるとして、実際の死亡者はさらに上回っている可能性が高いとした[138]。ミャンマー政府は、国境なき医師団の報告について「何もコメントすることはない」とした[139]。ミャンマー政府は、全体の死者は432人、内訳は「ベンガル人テロリスト」387人、治安部隊15人、市民は「ベンガル人」7人、ヒンドゥー教徒7人、ラカイン人仏教徒16人の計30人としている[140]。
2018年内の動向
[編集]2018年5月22日、アムネスティ・インターナショナルは、ARSAが最大で99人のヒンドゥー教徒を虐殺したとする報告書を発表した。ARSAは報告書の内容を否定している[141]。
8月27日、国際連合人権理事会(UNHRC)は、ミャンマー調査団の報告書を発表した。それによると、「ラカイン州のイスラム教徒に人権はない」と指摘し、2017年からの掃討作戦は「即時で、残忍で、(武装勢力の脅威に対し)不均衡」であり、少なくとも1万人が殺害され、ロヒンギャ居住地の4割が焼き払われたとした。また、治安部隊や他民族が、ロヒンギャ居住地への「再定住」を進めていると指摘した。ロヒンギャに対する差別発言、ヘイトスピーチへのミャンマー政府の対応は不十分であり、オンラインには差別発言が蔓延した。ソーシャルメディアでは、Facebookが憎悪の拡散に使われ、Facebook側の対策は後手に回った。一方、ARSAは、数十人のラカイン人、最大で100人のヒンドゥー教徒を殺害した可能性があるとした。総体として、ミャンマー治安部隊の行動はARSAを対象としたものではなく、「ベンガル人」全体を標的としたジェノサイドであり、人道に対する罪であり、国際刑事裁判所あるいは国際特別刑事裁判所への訴追が必要と結論付けた[142][143]。ミャンマー政府のザウ・ハティ報道官は、1.政府は人権侵害を厳しく取り締まっており、また調査団自体を入国を含めて認めていないので、人権理事会の決議にも同意しない。 2.国連や他の国際機関の主張は虚偽であり、それを立証するために独立した調査委員会を組織した。また訴訟も検討している。 3.政府は安全保障と法の支配・国民の利益を守るためにサイバー法の制定を努力すべきである。として、報告書を全て虚偽とする見解を示した[144]。また報告書で名指しされたFacebookは、ミンアウンフラインら軍幹部18人のアカウントを削除したが、ミャンマー国内で激しい反発を受け、ザウ・ハティ報道官も「なぜ削除したのか多くの疑問がある」と言及した[145]。
8月28日、国連安保理においてミャンマー大使は、ARSAが「250人以上の非ムスリム少数民族および、100人以上のヒンドゥー教徒を虐殺」したと主張し、人道的問題は全てARSAおよび、それを支援した外国のテロ組織に責任があるとする見解を示した。その上で、「(「ベンガル人」の)無実の民間人」難民の帰還については計画を進めており、「ミャンマー政府と人民」による遂行を強調した上で、国際社会の協力を求めた[146]。
8月31日、ロイターは、ミャンマー軍広報部が7月に出版した『ミャンマー政治と国軍(原題:Myanmar Politics and the Tatmadaw: Part I)』で写真の捏造があると報じた。同書は「ベンガル人」の悪事をアピールする内容であった。キャプションに「ベンガル人は無残にも地元の民族を殺した」とある写真は、実際は1971年、バングラデシュのダッカで、パキスタン側の人物がベンガル人を殺害した写真だった。また、キャプションに「ベンガル人は英国によって(ミャンマーに)侵入した」とある写真は、実際は1996年、ルワンダ虐殺に際したフツ族難民のカラー写真を、白黒に加工して古びて見せたものだった[147]。版元は9月4日までに、「間違った写真が印刷されていた」ことを認め、謝罪した[148]。
9月、国連人権理事会の調査団がジェノサイドの疑いに言及した決議を採択。
2016年10月より、新たに難民となりバングラデシュに逃れたロヒンギャは、2017年6月15日までに7万5千人に達した。さらに、8月25日の武力衝突から2018年8月までの間だけで、72万5千人に達した。以前の難民を含めると、90万人以上が難民となっている[149][150][21][151][152][153][124][131][143]。
11月、ミャンマーおよびバングラデシュ両政府が帰還開始を発表するが、希望者が現われない。
2019年
[編集]11月、イスラム協力機構を代表してガンビアが、ミャンマーをジェノサイドをしたとして国際司法裁判所に訴える。
バングラデシュの対応
[編集]バングラデシュは、ミャンマーに強制送還を要求しているが、ロヒンギャを自国民とは認めないミャンマー政府は、これを拒んでいる。バングラデシュは、ロヒンギャをミャンマーへの強制送還前提でガンジス川河口の無人島ブハシャンチャール島(テンガルチャール島)に隔離しようとして、批判を受けた[154]。バングラデシュのアブル・ハッサン・マームード・アリ外相は、6月15日に国会で「ラカインの人々」が犯罪を働き、「国家安全保障上の懸念」となっていると答弁した[155]。10月5日、バングラデシュは8月以降の大量の難民流入を受け、80万人超を収容できる巨大キャンプの設置を発表した。完成次第、すべての難民を移す方針である[156]。
10月24日、バングラデシュのカーン内相は、ミャンマーのチョー・スエ内相と会談し、ロヒンギャのミャンマー帰還手続きなどを協議した。ミャンマー側は、自国の記録照合で住民確認が必要と主張し、受入は1日100~150人程度としたが、早期帰還を求めるバングラデシュとは、条件が折り合わなかった[157]。
11月23日、バングラデシュとミャンマーはロヒンギャのミャンマー帰還について合意書に署名した。しかし、帰還の具体的手続きや期限は合意に至らず、さらに交渉を続けることになった[158]。
バングラデシュは、9月より「治安上の理由」から難民用の身分証発行を始めた。しかし「ロヒンギャ」の明記がなく、「ミャンマー国民の登録証」と表記されていることに反発し、受け取りを拒否するロヒンギャ難民が相次いでいるという[159]。
日本政府の対応
[編集]2017年8月4日、日本財団の招きで来日したミンアウンフライン軍司令官が、安倍晋三首相を表敬訪問した。日緬防衛協力などを会談し、「国民和解や少数民族支援」にも触れたが、ロヒンギャについて特段の言及は無かった[160]。
8月29日、外務報道官は武装勢力による治安部隊への襲撃を「強く非難」した。その一方、アナン委員長らによるラカイン州助言委員会の最終報告書の勧告履行へのミャンマー政府の取り組みを「支援」すると表明した[161]。
9月19日、河野太郎外相は、改めて武装勢力による襲撃を「強く非難」した。一方で人道状況や住民殺害の疑惑、この時点で40万人にのぼる難民流出に「深刻な懸念」を表明した[162]。
11月14日、安倍首相はアウンサンスーチーと会談し、「深刻な懸念」を伝え、治安回復や避難民帰還の実現を求めた[163]。
11月16日、日本政府はバングラデシュへの避難民支援として、1500万ドル(今年度支出レートで16億5000万円)の緊急資金協力を決定した[164]。
11月18日より11月20日にかけ、河野外相はバングラデシュを訪問した。11月19日、河野外相はバングラデシュのアブル・ハッサン・マームード・アリ外相と会談し、バングラデシュ政府の難民受入を高く評価すると共に、日本政府として支援をして行くことを表明した[165]。同日、河野外相はガブリエル・ドイツ副首相兼外相、モゲリーニEU外務・安全保障政策上級代表、ヴァルストローム・スウェーデン外務大臣と共にロヒンギャ避難民キャンプを視察した[166]。また、河野は『デイリー・スター』紙への取材に対し、1.武装勢力を「強く非難」し、2.ラカイン州の人権状況や60万に上る難民流出などを「深刻に懸念」し、3.バングラデシュの取り組みに対し、合計1860万ドルの支援を行うことを改めて述べた[167][168]。
11月20日、中根一幸外務副大臣は、ミンアウンフラインと会談した。中根は、ミャンマー国軍の人権侵害疑惑について、必要があれば処罰を行うよう求めた。ミンアウンフラインは、「バングラデシュに流出した避難民」について、「審査の上で受け入れる用意がある」と述べた[169]。
12月14日、安倍首相は訪日したティン・チョウ・ミャンマー大統領と会談した。安倍首相の発言は以下の通りである。1.ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)支援を引き続き進める。2.「自由で開かれたインド太平洋戦略」の下、官民合わせて8千億円の資金投入、文化交流の推進などを行う。3.ラカイン州の人権・人道状況を「懸念」している。避難民帰還に関するミャンマー・バングラデシュ合意を歓迎する[170]。
日本におけるロヒンギャ
[編集]難民条約加盟国である日本でもロヒンギャが難民申請しているが、入国管理局によって退去を強制させられている事例がある。日本の法廷で争われている[171]とおり、ロヒンギャ難民の問題には不可解な点が多く認められ、加えて「難民条約」の定義では解決し難いため、難民認定は低調な数字のままである。
在日ビルマロヒンギャ協会によると、2015年6月現在、日本には約230人のロヒンギャが生活している。そのうち約200人が、群馬県館林市に集中している[172]。また、日本政府は、ロヒンギャをミャンマー国籍として扱っているが、国籍を剥奪されたためにそのほとんどが無国籍である実態とかけ離れた国籍認定が懸念されている[173]。2017年8月4日、国連難民高等弁務官事務所のダーク・ヘベカー駐日代表が館林市を訪れ、ロヒンギャの現状を視察した。ヘベカーは、NPO法人が行うロヒンギャの子供たちの学習支援教室などを見学し、「素晴らしいプロジェクトで、学ぶ意欲を感じた」と評価した[174][175]。
日本ロヒンギャ支援ネットワークのゾーミントゥ事務局長は、「世界に向かってミャンマー軍が何をやっているか語ってほしい」とアウンサンスーチーに呼びかけた[176]。
2017年9月には、日本赤十字社の医療チームがバングラデシュの避難キャンプに派遣された[16]。9月8日、東京・品川のミャンマー大使館に、ロヒンギャら約150人が抗議デモを行った[177]。
その一方で、在日ミャンマー人社会との対立は深まっている。1988年9月に在日ミャンマー人協会が設立された当初は、ロヒンギャが協会書記長を務めたことがあるなど、表だった排斥は見られなかった。しかし2000年以降、ミャンマーの政情が落ち着くと、在日ミャンマー人の間に「ロヒンギャ(「ベンガル人」)はミャンマー人ではない」という認識が浸透し、表だった迫害こそ起きていないが、ロヒンギャは排除されるようになった[178]。2015年には、日本放送協会の(「ベンガル人」に対する)ロヒンギャ表記への抗議声明を、複数の在日ミャンマー人団体が出した[179]。
2020年
[編集]1月、国際司法裁判所は、ミャンマーに迫害防止措置などをもとめる仮保全措置を命令した。
課題
[編集]国際社会と人道主義団体(NGO)には、感情論に走らない冷静な対応が求められる一方、「人間の安全保障」の観点からすれば、英領植民地時代の遺恨である宗教・民族間の怨讐から生じる差別と迫害が存在することは明らかであるため、冷静な対応と同時に早急なロヒンギャの身柄保護と効果的な人道支援を急がねばならない、というジレンマに陥っている。
一方で、ミャンマーには官民共に強い反ロヒンギャ感情があり、特にラカイン州の上座部仏教徒住民のそれは甚だしい。そのため、ミャンマー現地での活動を妨害されないために、国連や援助団体などは、ロヒンギャ問題の公言を避け、ミャンマー側の嫌がる「ロヒンギャ」表記さえ避ける傾向にあった。敢えて問題にする者は「トラブルメーカー」のレッテルを貼られたという[30]。
この難しい局面を打開するために周辺諸国の協力も必要とする声があるが、マレーシアがロヒンギャの流出にある程度同情的なのに対し、タイ、バングラデシュ、インドネシアなどは、国連やNGOの批判に取り合わず、ロヒンギャの正規受け入れを拒否し続けている。一方、人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「まずは、ビルマ(ミャンマー)国内におけるロヒンギャの人権が確保されるべき」と主張している[180]。
また、ロヒンギャの側にもアラカン・ロヒンギャ救世軍という武装集団がおり、彼らはミャンマー軍の暴虐に乗じる形でヒンドゥー教徒などの異教徒の村への襲撃を繰り返している。しかし、国際社会においてロヒンギャは被害者であるため、ロヒンギャから襲撃を受けた者たちの被害は無視される傾向にあるという主張がある[181]。
来歴
[編集]- 11世紀 パガン朝成立。
- 16世紀 タウングー朝成立。アラカン人によるベンガル人の拉致が横行。
- 17世紀 ベンガル人がアラカン王国で隷属化に。
- 1752年 コンバウン朝成立。
- 1784年 アラカン王国がコンバウン朝に併合され消滅。
- 1799年 ビルマ人の迫害により、アラカン人が英領インドへ難民化。
- 1824年 第一次英緬戦争。
- 1826年 「ヤンダボ協定」締結。アラカン西部のチッタゴンを英領インドに割譲。
- 1828年 アラカン州をアキャブ,チョクピュー,サンドウェイの3郡に分割。
- 1852年 第二次英緬戦争。英領インドは下ビルマを併合。
- 1879年 飢餓が発生したことから、ベンガル人のビルマへの大規模移住が開始。
- 1885年 第三次英緬戦争。
- 1886年 コンバウン朝滅亡。英領インドの一州として完全植民地化。
- 1887年 英国はベンガル系移民に対する農地の貸借契約を承認。
- 1911年 20年前に比べ、アラカン人口が80%近く上昇。
- 1913年 アラカン人とベンガル系移民との間で土地訴訟が発生。
- 1937年 英領インドから分離。
- 1939年 アラカン国民会議(ANC)が西部一帯を事実上統治。
- 1941年 30人の志士から成る国民義勇軍(BMI)結成。
- 1942年 日本軍の侵攻で英軍が後退。
- 1943年 反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)結成。
- 1944年 日本軍の撤退で英軍が再侵攻。「アラカン会議」開催。
- 1945年 反ファシスト人民自由連盟が抗日運動開始。
- 1946年 アラカンの東パキスタン統合が拒否され、ベンガル系移民のムジャヒッド蜂起。
- 1947年 「アウンサン=アトリー協定」締結も、アウンサン暗殺。
- 1948年 「ビルマ連邦」独立。「ムジャヒッドの乱」でアラカン人とベンガル系移民との抗争が激化。
- 1951年 「全アラカン・ムスリム協議会」においてムスリム国家の設立を表明。
- 1954年 ミャンマー=日本間で「平和条約」に調印
- 1960年 アウンサンの後継ウーヌは、アラカン人に独立国家の樹立を容認。
- 1962年 ネウィンによる軍事クーデタ発生。ビルマ式社会主義体制へ。
- 1972年 「ロヒンギャ民族の解放」を唱える会議を開催。
- 1974年 国号を「ビルマ連邦社会主義共和国」に変更。
- 1978年 ビルマ当局は「ナーガミン作戦」を各地で展開。
- 1982年 「市民権法」でベンガル族を除くムスリム(ロヒンギャ)を非国民として規定。
- 1985年 アウンサンスーチーが日本の京都大学東南アジア研究センターで客員研究員に。
- 1987年 国連から「低開発国(LDC)」指定。「1982年市民権法」施行により、ロヒンギャの国籍剥奪。
- 1988年 「8888民主化運動」発生。ソオマオン主導のSLORC(国家法秩序回復評議会)による軍政移管。
- 1989年 再び国号を「ミャンマー連邦」に変更。
- 1990年 総選挙実施でNLD(国民民主連盟)が圧勝するも軍政は結果を反故。亡命政府「NCGUB(ビルマ連邦国民連合政府)」設立。
- 1991年 アウンサンスーチーがノーベル平和賞受賞。ロヒンギャの第一次難民化。
- 1992年 ミャンマー=バングラデシュ間で「難民帰還覚書」を交換。軍政がタンシュエ麾下に。
- 1995年 カレン族の拠点基地であるマナプローが陥落し、カレン族の多くがタイ領へ大量避難。
- 1997年 軍政がSPDC(国家平和発展評議会)に改組。ロヒンギャの第二次難民化。
- 1998年 ミャンマー=バングラデシュ間で「難民帰還協定」を締結。
- 2004年 バングラデシュ政府はミャンマーからのロヒンギャを不法移民に認定。
- 2006年 ネーピードーへ遷都。ロヒンギャの一部がクォータ難民としてカナダで第三国定住。
- 2007年 「サフラン革命」発生。タイ当局はラノーンで拘束したロヒンギャを強制送還。
- 2009年 ロヒンギャのボートピープルがタイ海軍によって強制送還。
- 2010年 国旗と国号を「ミャンマー連邦共和国」に変更。アウンサンスーチー解放。
- 2012年 ヤカイン州で仏教徒とイスラム教徒が衝突。アウンサンスーチーは介入を避ける。
- 2015年 インドネシア・マレーシア・タイがロヒンギャを含む漂流難民の一時的受け入れ施設の設置で合意[182]。
組織
[編集]- ロヒンギャ連帯機構(RSO: Rohingya Solidirity Organization)
- アラカン・ロヒンギャ・イスラーム戦線(ARIF: Arakan Rohingya Islamic Front)
- ロヒンギャ愛国戦線(RPF: Rohingya Patriotic Front)
- ロヒンギャ解放機構(RLO: Rohingya Liberation Organization)
- アラカン・イティハドゥール・モザハディン(IMA: Itihadul Mozahadin of Arakan)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ミャンマー政府は、西部に暮らすロヒンギャなどのイスラーム教徒を「ベンガル族」として、人的扱いに差を設けていると言われる。
- ^ アラカン人やモグ族とも呼ばれ、その多くが仏教徒であり、イスラーム教徒のロヒンギャと対立する。
- ^ 開始した理由は、ロヒンギャがイギリスを支持していたからとされる。
- ^ たとえば、大和民族のミャンマーへの帰化は認められない。
- ^ ヒューマン・ライツ・ウォッチは「ミャンマー」の国号を認めておらず、旧称の「ビルマ」で呼び続けている。
- ^ バングラデシュでのロヒンギャは、難民認定されないまま不法滞在者として扱われている。
- ^ もちろん、「ベンガル人」は市民に含まれない。
- ^ ビルマの戦いで、ロヒンギャがイギリスに与した行為を意味するが、イギリスの名指しはしていない。
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- ^ 漂流の少数民族 一時受け入れ施設設置で合意 NHK Newsweb
参考文献
[編集]- 田辺寿夫 (1996) 『ビルマ―「発展」のなかの人々―』岩波書店.
- ヒューマンライツ・ウォッチ (2009) 『ビルマのロヒンギャの窮状』
- アジア福祉教育財団難民事業本部 (2007) 『バングラデシュにおけるロヒンギャ難民の状況と支援状況報告』
- NCGUB (1999) 『世界人権問題叢書26/ビルマの人権』明石書店.
- M. Smith (1994) "Ethnic Group of Burma: Development, Democracy, and Human Rights." Anti-Slavery International.
- Aye Chan (2005) "The Development of a Muslim Enclave in Arakan State of Burma." SAOS Bulletin of Burma Research.
関連文献
[編集]- 中坪央暁『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』めこん、2019年9月。ISBN 978-4839603175。
- 日下部尚徳(編著)、石川和雅(編著)『ロヒンギャ問題とは何か――難民になれない難民』明石書店、2019年9月。ISBN 978-4750348698。
関連項目
[編集]- ミャンマー難民
- UNHCR
- 969運動 - 仏教過激派によるイスラム教排斥運動。ロヒンギャ迫害にも深く関わっている
- 民族浄化
- ジェノサイド
- 人種差別
- 在パキスタンビルマ人
- 仏教と暴力
- 仏教に対する批判
外部リンク
[編集]- Rohingya Cultural Center
- 国際宗教同志会平成30年度第3回例会 記念講演 《ロヒンギャ問題》の問題化 - 2018年10月5日
- バングラデシュのビルマ人―ロヒンギャ少数民族 ビルマ情報ネットワーク - 2001年5月19日